2011年9月8日木曜日

木曽御嶽山・戸隠山

先月,高校の友人たちと訪れた木曽御嶽山と戸隠神社についてまとめる.





木曽御嶽山
御嶽神社
国常立尊・大己貴命・少彦名命
御嶽山は,古くから信仰の山として信者の畏敬を集めてきた巨峰で,いくつもの峰を連ねてそびえる活火山である.
そもそも御嶽信仰の発祥は,その源流をたどれば古代の山岳崇拝の思想に遡る.すなわち、神代の時代に,山そのものを神とあがめて崇拝した古代人の原始宗教に端を発したものであり,その後,大和の役の小角行者(大峰山開闢神変大菩薩)を開祖とする修験道と結ばれ,奈良時代から鎌倉時代にかけて一時代を画したが,やがて修験道の退潮と共に新たな民間信仰として台頭し,広く世人の信頼を集めて独自の御嶽信仰の形成をみるに至ったというのが,今日御嶽信仰の発祥についての定説とされている.
遠く四十二代文武天皇の大宝年間(701~704)に、大和大峰山の開山たる神変大菩薩の役の小角行者が,また五十代桓武天皇の延暦の期(782~806)には,高野山の開祖弘法大師の空海などの名僧が相次いで登拝したとも伝えられている.
古来山岳宗教には,その根底に一種の「生まれ代わり」を意図する世界観がある.御嶽信仰は、「われわれの霊魂は、聖なる御嶽の御山より生を受けそれぞれの家へ御神縁によって生まれ出でるが、死して後よりは、再び御山の幽世へ御引取り頂き、かたじけなくも御嶽の神に帰る」という不動の信念に立つのである.<御嶽教より>


国常立尊・・・
紀では一番最初に現れた神
記では別天津神五柱の次,神世七代の最初の神.

大己貴命・・・
大国主命の別名.出雲大社に祀られている.

少彦名命・・・
紀では高皇産霊神の子.記では神皇産霊神の子.
大国主命と協力し,国土造成を成功させた.






戸隠山
戸隠神社
九頭龍大神・天手力雄・天八意思兼命・天表春命・天鈿女命
戸隠神社は霊山戸隠山の麓に,火之御子社・宝光社・中社・九頭龍社・奥社の五社よりなる.戸隠の伝説に,戸隠山とは天の岩戸が飛来して現在の姿になったとある.地主神である九頭龍大神を祀る九頭龍神社以外は,天岩戸神話に由来する神々を祀る.
創建は紀元前210年ともいわれる.平安時代以降は天台密教や真言密教と神道が習合した戸隠勧修院顕光寺として全国に知られ修験者や参詣者を集めた.戦国時代には武田信玄と上杉謙信との争乱から逃れるなどの時期もあった.その後徳川家康の幕府の保護を受け,次第に修験道場から門前町へと変わっていった.明治時代,廃仏毀釈運動によって戸隠顕光寺は寺を分離して神社となった.

火之御子社
御祭神 天鈿女命

宝光社
御祭神 天表春命

中社
御祭神 天八意思兼命

九頭龍社
御祭神 九頭龍大神

奥社
御祭神 天手力雄
天岩戸神話とは,イザナギノカミの御子で三貴神の一柱 スサノオノミコトがイザナギの「海を治めよ」という命令に従わなかったことに端を発する.スサノオは既に死んでしまってた母イザナミのいる根之堅州国へ行こうとするが,それを聞いたイザナギは怒ってしまう.(そもそも住吉三神や三貴神は,イザナギが妻イザナミの死を悼んで黄泉国(=根之堅州国)へ行くも,そのおどろおどろしい姿を見てしまい,桃を投げ,黄泉比良坂を登り,命からがら逃げてきて,その穢をはらうために禊ぎしたとき生まれた神々である.)怒ったイザナギは「もう知らん」と,近江国の多賀神社に鎮座し,神話の表舞台から引退する.
さて,どうしても根之堅州国へ行きたいスサノオは,高天原を治める三貴神の一柱で姉 天照大神に一言挨拶してから出かけようとする.しかしこれを見た天照大神は,きっと弟スサノオは高天原を乗っ取りに来たのではないかと疑い,髪を結って男装し,武装して待ち構える.
これをみたスサノオは,「悪い心は持っておりません」と誓約(うけひ)を行うことを提案する.(この時スサノヲの剣を天照大神が噛み砕き吹き出すと宗像三神が生まれた.)誓約の結果スサノオは一方的に「身の潔白は証明された」と主張し,その勢いで粗暴な振る舞いを続ける.天照大神の神殿でゲロを吐いてウ○コを撒き散らしたり,神殿に供える稲の田んぼを埋めてしまったりしたのだ.しかし,心の広い天照大神は,あれはきっと酒に酔って気分が悪かったのでしょうとか,土地が勿体ないのを平らにしてくれたのでしょうとか,スサノオを庇っていた.
しかしある時,スサノオは皮を剥いだ馬を機織女がいる建物に投げつけた.驚いた機織女の一人がこれにびっくりしてシャトルがあそこに刺さって死んでしまう.これを聞いた天照大神は心を閉ざしてしまい,ついに岩屋戸にこもってしまう.
天照大神が岩屋戸に隠れると世界は暗黒になり,禍々しい神がたくさん出てきて世界は大変なことになってしまった.これは困ったと八百万の神たちが集まって相談した結果,オモイカネが提案したプランが決行されることになった.簡単にいうと,まず岩屋戸の前でドンチャン騒ぎをして天照大神の気を引く.この時活躍したのがアメノウズメであり,いわゆるストリッパーである.八百万の神が一斉に騒いだので,地面が揺れるくらいだったらしい.
さて,目論見通り天照大神は顔を少し出す.ここで,予め用意していた鏡を構え,「あなたよりスゴイ神様が現れたのでそれを祝っているのです」という.ちょっと興味ある天照大神.そこから見えるのは,鏡に写った自分の姿だが...たしかに神々しい姿がちょっと見える.よく見ようと思って体を乗り出す.
そこを,そばで隠れていたタヂカラオがエイヤとこじ開け,天照大神を引き出した.この時タヂカラオが投げ飛ばした岩戸が今の戸隠山であるとされる.
岩屋戸の入り口にはすぐに注連縄をはって,「もう引きこもらないように」といった.こうして世界は再び明るくなったわけだが,この件の罪のためスサノオは高天原から追放された.
以上がいわゆる天岩戸神話の一連である.
ちなみに追放されたスサノオは,八岐大蛇を退治して天叢雲剣(=草薙剣・三種の神器の一)を手に入れて天照大神に献上し,櫛名田姫と結婚し子を作る.いわゆる国ツ神・出雲神話の系譜である.
さて御嶽神社に祀られているのは,国之常立神・大己貴神・少彦名神であるが,大己貴神は正にスサノオの系列である(その正妻もスサノオの娘である.ほぼ駆け落ち.ちなみにそのちょっと前に因幡の白兎伝説でゲットした八上姫がいたが,正妻が嫉妬深くて里に帰ってしまう).大己貴神とは大国主神の別名で出雲大社に祀られている.少彦名神と共に国家造営に尽力した神である.大国主神の荒御魂・同一の神として大物主神がおり,大国主神はこれを三輪山に祀る(大神神社)ことで国家造営を成功させたと伝わる.
そんな地上(豊葦原の瑞穂の国)を見た天照大神は,この国は「吾が子孫がしらす国ぞ」といい,使者を遣わす.大国主神は,「息子たちの意向を聞いてくれ」というが,その息子というのが事代主命と建御名方命である.コトシロヌシは船の下に隠れて服従の意を示す.(この姿から恵比寿様と習合している.また海から来るイメージが蛭子信仰と結びついている.(蛭子=イザナギとイザナミの国生みの際,はじめに生まれた不完全な子で葦船に乗せて流してしまったとある.))タケミナカタはご存知諏訪大社の御祭神であるが,これははじめ服従を拒んだのがコテンパンにやられて命からがら諏訪まで逃げてきたからである.結局タケミナカタも承諾し,大国主神は天まで届くくらいの神殿を持つ出雲大社の創建を条件に引退する.
こうして天照大神の系譜が地上に降りることになる.これがいわゆる天孫降臨神話になる.天孫降臨はその名の通り天孫=天照大神の孫であるニニギノミコトが降臨する事を指すが,これに伴って多くの神々が降りてきた.そのほとんどは天岩戸神話で功績のあった神々である.オモイカネ・タヂカラオは三種の神器と共に下るように命じられている.これまで話に出てこなかったウワハルはオモイカネの息子であり,ニニギとともに天降っている.アメノウズメは,天孫降臨の途中で待ち構えていたイカツイ猿田彦命が何を企んでいるのかを聞き出すために遣わされた.(アメノウズメとサルタヒコのファーストコンタクトはストリップである.ちなみに,サルタヒコは天孫を道案内しようと立っていただけである.その後アメノウズメとサルタヒコは夫婦になったとされ,道祖神に描かれる男女はこの二柱だとも言われる.)
こうしてニニギは日向の高千穂に降り立ち,はじめ「俺の子じゃねー」と言って証明のために木花咲耶姫が火の中で生んだ子が山彦海彦伝説の兄弟であり,その山幸彦と実はサメだった豊玉姫との間に生まれた子がフキアエズである.フキアエズは育ての親である玉依姫(豊玉姫は出産を覗くなと言ったのに,サメの姿で子を生んでいるのを見られてしまい海に帰ってしまう.しかし生んだ子フキアエズの様子が心配で妹の玉依姫を育ての親に遣わしていた.)と結婚し(!?),そうして生んだ子が後の神武天皇である.


下に,天照大御神からの神勅「寶祚(あまつひつぎ)の隆へまさむこと,當に天壌(あめつち)とともに窮はまり無かるべし」と書かれているのが読める.








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