2011年9月7日水曜日

日本楽府第一闋「日出處」 頼山陽

前回,マイスプ+の放送で彦十郎さんに御教授頂きました日本楽府の「日出處」.これを,自身の復習を兼ねて書き留めておこうと思います.





訓み方は,

日の出づる處(ところ)日の没する處(ところ)
両頭の天子 皆 天署(てんしょ)す
扶桑(ふそう) 鶏(にはとり)號(な)いて 朝(ちょう)已(すで)に盈(み)つるも
長安 洛陽 天 未だ曙(あ)けず
贏(えい)は顛(たふ)れ 劉は蹶(つまづ)きて 日没を趁(お)ひ
東海の一輪 舊(きう)に依(よ)りて出づ


該当のアーカイブ動画.
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註記にはこうある.
神武天皇,日向より起り,東征して大和を平定し,之に都して大和と曰ひ,又日本(やまと)と曰ふ.遂に以て國號となす.
推古帝の時,使を遣はし,隋主に書を遣(おく)りて曰く,日の出る處の天子,書を日の没する處の天子に致す云々.
日の出る處の天子も,日の没する所の天子も,皆天命を受けて天子たるに於ては,同一なれども,開國以来,皇統連綿,四海に君臨し給ふが如きは,到底,漢土に見ること能(あた)はず.左(さ)れば世々秦滅び漢亡(ほろ)ぶるが如き,革命變亂あるを免れずとなり.


例えば支那にも天子はいるが,秦も漢も滅びてしまっている.
わが国は二千六百有余年,万世一系の皇統が連綿と続いている.

,ということを,朝日が昇り輝いている情景(と対比させた支那の薄暗い状態)で色をつけて盛り上げている詩だ,と理解.

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