2011年9月12日月曜日

三木 三鳥 三草 (古今伝授)

  古今伝授とは何か?

(第193号) 「古今伝授とは」 ~古今伝授のまち三島~

JR三島駅前をはじめ、市内に「古今伝授のまち三島」という標柱が立っています。
「古今伝授(こきんでんじゅ)」とは、簡単にいうと『古今和歌集(こきんわかしゅう・古今集)』の解釈についての秘伝です。その『古今和歌集』は、醍醐(だいご)天皇の命により、紀貫之(きのつらゆき)・紀友則(きのとものり)・凡河内躬恒(おおこうちのみつね)・壬生忠岑(みぶのただみね)ら四人の撰者が、延喜(えんぎ)5年(905)に編纂した日本で最初の勅撰(ちょくせん・天皇の命により編まれた)和歌集です。以後二十一集の勅撰集が編まれますが、どの集も古今集を基本としており、歌道をたしなむ者にとって、必ず知らなければならない重要な歌集でした。皆さんご存じの『小倉百人一首』においても、古今集以外の歌集から選ばれている歌は二首から十四首程度なのに対し、古今集からは二十四首と群を抜いています。
「古今伝授」は古今集の解釈を師から弟子へ秘伝という形で後世に伝えたものです。古今集の成立後、ほどなく始まったと推定されますが、形式化されたのが文明3年(1471)三島で行われた、東常縁(とうのつねより)から連歌師宗祇(そうぎ)への伝授といわれています。古今伝授を受けるには、弟子は師に対して誓状(ちかいじょう)を提出し、一切他言しない事を約束させられます。その上で古今集について、当時は記されていなかった清濁や句読点などを付けた読み方、続いて語義や語釈についての講釈を受け、師は弟子にそのききがき聞書(いわゆる講義ノート)を提出させ、必要な事項を補筆訂正し、伝授を証明する奥書を記しました。そして最終段階では、書くことが許されない秘説が口伝(くでん)により伝えられ、更に重要な事項は一通ずつ切紙(きりがみ)に書いて伝えられました。その内容は、三木(さんぼく:おがたまの木 ・めどに削り花 ・かはなぐさ)、三鳥(さんちょう:よぶこどり・ももちどり・いなおほせどり)などの解釈です。
これに対し、江戸期の国学者本居宣長(もとおりのりなが)が『排蘆小船(あしわけおぶね)』で「古今伝授大いに歌道のさまたげにて、此道の大厄也」と述べ、歌の良し悪しよりも歌道家の格式を重んじる風潮を痛烈に批判しました。
三島市役所

古今伝授の歩み

鎌倉時代中期の歌人・藤原為家には為氏(補足)、為教(補足)、為相(補足)の三人の子供がいました。
いずれも和歌の才能に秀で、それぞれが二条家、京極家、冷泉家と独立して和歌の家として生計をたてるようになります。この三家は古今和歌集を拠り所とし、家独自の歌学を形成し、伝承していきました。
室町時代になると、二条派の歌人にして武将でもある東常縁(補足)が連歌師・飯尾宗祇に対し古今伝授を行います。
古今伝授とはその名の示す通り、「古今和歌集」の解説など秘説を伝える歌学伝授の一形式のことです。
古今和歌集はその成立の背景もあってか、早い時代から研究が盛んでした。そのため多くの人の関心を引き、その伝授は当時の歌壇においては最も重要視されていました。
東常縁(補足)から飯尾宗祇への伝授の過程で、その形式が整えられた二条派の古今伝授は、その後宗祇が近衛尚道、三条西実隆、牡丹花肖柏らに伝授し、それぞれが交わることなく後世に伝えられていきます。
そのうち三条西実隆に伝えられた古今伝授は、その子孫に伝えられていきますが、三条西実枝から伝授された細川藤孝(幽斎)が八条宮智仁親王に伝授。さらに智仁親王から後水尾天皇に伝授されたことで古今伝授は御所に入り、代々の天皇に伝えられるようになります。
古今伝授の間 観光ガイド:熊本県重要文化財@水前寺公園

上でも触れられている通り,「古今和歌集」は905年に醍醐天皇の勅命によって編纂された最初の勅撰和歌集で,紀友則、紀貫之、凡河内躬恒、壬生忠岑が撰者である.

さて,二条家・京極家・冷泉家の祖の藤原為家は「続古今和歌集(1265年)」を撰進している.
為家の父といえば言わずと知れた藤原定家であり,「新古今和歌集(1205年)」「新勅撰和歌集(1235年)」や,「小倉百人一首」を撰出している.
定家の父は藤原俊成であり,「千載和歌集(1188年)」の撰者である.

俊成・定家・為家といえば,

俊成
駒とめてなほ水飼はむ山吹の花の露添ふ井出の玉川(新古今和歌集巻第二春歌下)

定家
駒とめて袖うちはらふかげもなし佐野のわたりの雪のゆふぐれ(新古今和歌集巻第六冬歌)

為家
駒とめて宇治より渡る木幡川思いならずと浮名ながすな(名寄)

という父子三代の歌から「駒止香」という組香が思い浮かぶ.
ちなみにこの組香は,
井手玉川・佐野渡り・宇治より渡を二包ずつ用意し,内一包は試香とし,本香三包を打ち交ぜて炷く.

各人の解答には御点として,
井手玉川は「水飼」
佐野渡りは「袖拂」
宇治より渡は「木幡川」
三炷全て不当は「落馬」
三炷全て当は「駒止」
と記録される.



閑話休題
さてその古今伝授で伝えられる「三木」「三鳥」「三草」について記したい.
すなわち三木・三鳥・三草とは,

三木
御賀玉木(をがたまのき)
河菜草(かはなくさ)
蓍に削り花(めどにけづりばな)


三鳥
百千鳥(ももちどり)
稲負鳥(いなおほせどり)
呼子鳥(よぶこどり)


三草
川菜草(かはなぐさ)
呉の母(くれのおも)
蓍に削り花(めどにけづりばな)



をがたまのき
これは,「招霊木」とも書くそうで,というのも元々「招霊(おぎたま)」から転訛した語だからだそうだ.
常陸宮正仁親王殿下の御印であり,一円玉に彫られている木のモチーフであるともいわれている.





かはなくさ
これは,川水雲(かはもづく)の事で,清流にしか棲息していない.モズクなので酢で食えるらしい.が,絶滅危惧種にも指定されているらしい.

めどにけづりばな
これは蓍萩(めどはぎ)につけた削り花,と説明が出る.削り花とは造花のことではなく,おそらく表面を削ってモサッとさせたものを指す.この「削り花」は神の依り代という意味で作られていたそうである.



ももちどり
これはウグイスの別名.

いなおほせどり
スズメ?

よぶこどり
カッコウ?ホトトギス?

くれのおも
茴香(ういきやう),というかフェンネル.よく行く温泉の「薬草湯」でたまに使われてるから知ってる.

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