2011年9月5日月曜日

平成24年NHK大河ドラマ「平清盛」 “王家”表記問題


先月からクランクインした模様の来年の大河ドラマ「平清盛」.
なにやら,別の話題で盛り上がっているようです.

問題の表記は→
とか,あと↓
ストーリー
平安末期、海の一族・伊勢平氏は瀬戸内の海賊退治によって貴族社会にその存在を示していた。清盛は養父・忠盛のもとで一人前の武士となるように育てられ、「人の絆」の大切さを学ぶ。また清盛は船上での生活で先見性や判断力を身につけ、外国商人や海賊たちと渡り合う中でたくましい男として成長していく。
京に上ると清盛は個性的な仲間と出会う。ライバルとなる源義朝(よしとも)、後に歌人・西行となる文武に秀でた佐藤義清(のりきよ)、そして繊細・奔放(ほんぽう)な少年から日本一の権力者「大天狗」へと変貌(へんぼう)を遂げる雅仁親王(まさひとしんのう/後白河天皇・上皇・法皇)。若き清盛は彼らとともに世の中を見つめ、それぞれの夢を語り合った。
時は戦乱の世を迎える。王家(天皇家)の後継争いに始まった保元・平治の乱。そこで清盛が見たのは、子が親を兄が弟を殺す地獄絵図だった。
その中で清盛は、朝敵となった源義朝を討てとかつての雅仁親王・後白河上皇から命ぜられる。だが義朝の嫡男・頼朝には恩情をかけ命を救ってしまい、この判断が大きな悲劇を生むことになる。
京を舞台にした戦いで、藤原摂関家や源氏が力を失う中、清盛は「武家の棟梁」となり中央政界を左右する存在となる。盟友であった後白河法皇は院政を行い、政治権力をふるい、両者は同盟を結ぶものの、やがて厳しい対立関係に入る。そんな清盛を支えたのが家族だった。実の親を知らず、忠盛の情愛の中で育てられた清盛は、家族の絆を何よりも大切だと感じていた。しかし清盛が最愛の長男・重盛を病で失うと、後白河は平家一門の追い落としをはかる。ついに堪え切れなくなった清盛はクーデターを起こし、法皇の院政を停止して、最高の権力者となる。日本史上初めて武士が政権のトップにつくことになった瞬間だった。
そして400年ぶりに都を京から福原(現・神戸)に遷(うつ)し、自らの夢に立ち返った政治を行おうとした。それは巨大な貿易港を築き、日宋貿易を中心とした、海外に開けた交易国家を作ることだった。だが、あまりに急進的な改革だったために、世間の不評を買い、天下の大悪人とされてしまう。
こうした世論に乗じて、後白河法皇は平家追討令を出した。頼朝を先頭に、源氏一族が全国で呼応する中、清盛は熱病で命を絶つ。子供たちは父の名誉を守るために果敢に戦うが力尽き、平家一門は父・清盛が愛した海に消えるのだった——。


むむ??
王家?王家??

苦情がたくさん来たからか知らないけれど,ご丁寧にも※をつけて解説してくださっとるw
<王家>について
大河ドラマ『平清盛』では、この時代の天皇・上皇・法皇を中心とした人々を表現する上で、<王家>という用語を使っています。
馴染みの薄い使い方かもしれませんが、平安末期から鎌倉期にかけての中世史研究者の間では広く使われています。歴史専門家の考証をふまえ、『平清盛』でも<王家>という言葉を用いています。


でもこれはおかしな話なわけですよ.
たとえ本当に専門家が「王家」と呼称していても,皇室は現在までも連綿と続いているわけです.私たちはそれを「皇室」と呼ぶ.
私たちは決して平安時代の“専門家”ではないわけですから,普通に「皇室」とお呼びすれば良い.なぜワザワザ初めて聞いたような<専門家用語>を使わなければならないのか?

“コトバ(日本語)”というものは,私たちがそれを<どう捉えるのか?>によって現れてきます.
「はじめにコトバありき」ではない訳です.常に表現する主体がいる.

この考え方は,日本最古の歴史書「古事記」や現存する最古の正史「日本書紀」に顕著です.
日本の神話を少しでも知っていれば,もしくは神社を興味深く観察していれば,
神様には名前が幾通りも付いている不思議,に気づくと思います.
私はこれを,<そういったお名前の神様が居られた.>ではなく,<その神様をこうお呼びした.お呼びしている.>ということだと理解しています.

日本では古来よりコトバをとても大切にしてきました.
「言霊」という考え方もその一種でしょう.コトバに上下をつける「敬語」はまさに,コチラが相手をどう捉えているのか?によって変化します.

翻って今回のNHK大河ドラマ<王家>表記問題はどうでしょうか?

“コトバ”は常に,表現者である私たちによって紡がれていきます.
「皇室」に対して,現代において一般的でない<王家>という表記をしていること.
これは大河ドラマ制作陣の皇室に対する<捉え方>そのものではないでしょうか?

色々と勘ぐってしまいます.

昨今,テレビドラマで「朝鮮王朝(?)」を題材にしたフィクションが流行っているようですが,日本の皇室をそれと同等と貶めようという意図があるのではないか,とか.

まぁ杞憂であることを願うばかりですが,
世間・世論というものは,こうやって偽造(つく)られていくものです.
乱臣賊子といふものは、そのはじめ心ことばをつつしまざるよりいでくるなり。
神皇正統記(北畠親房)
お茶の間にあるテレビとは,「ゴリ押しだと思うなら見なけりゃいい」とか「暴力団が解決してくれることもある」とか,そんなコトバが氾濫していて,濁流となって溢れ出してくる機械です.
世の荒廃を憂います.

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